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トレッキング記録の続きです。前回のその1からどうぞ!




5日目:タンボチェからディンボチェ(約4400m)


この日は天気最高!!!


宿の前からエベレストがどーんと見えて感動もの!

これがエベレスト



出発前にゴンパ(お寺)を見学


ゴンパ
こうやって毎朝毎朝、お坊さんがお祈りしているのです山の中で





晴れたヒマラヤトレッキングはほんとーーーーーに最高に美しくて
まさに写真の中、絵の中の世界みたいで
夢のようだった!!


描いていたヒマラヤの景色が目の前にあって


ずっとずっと
目が離せなかった。




アマダブラム
進行方向にずっと見えているアマダブラム(約6856m)
存在感抜群!






その日のトレッキングは最高に気持ち良くて幸せいっぱいで終えたけれど、

ロッジに着いてお茶を飲んだあとに

急に体調が悪くなり
嘔吐&下痢になってしまった。

何が原因かはわからないけど
倉田も体調崩したように下界にいたときに何かにあたったのかな・・・。






6日目:高所順応のためディンボチェ停滞


幸いスケジュール的にも停滞の日だったので
ゆっくり寝て休むことにした。



洗濯
ヒマラヤを背景にお洗濯♪
絵になりません?







7日目:ディンボチェからロブチェ(約4800m)


体調は快復!

天気も最高でちょ~~~いい景色!!



タルチョが映える
青い空に山とタルチョが映える。



このカラフルな旗はタルチョといって、
旗には経文が書いてあって、旗がはためくたびに風が仏法を世界中に広めてくれると考えられている。らしい。


色は5色あって
黄=地、青=水、赤=火、緑=風、白=空 を表わしているのだ。
かっこいいのだ。




山のでかさ!
こんなのが目の前に本当にあるんだもん。
ひっくり返っちゃうよ!



ただただ圧巻
ただただ圧巻です。




でもさすがに空気が薄くて、急登はかなりしんどかった・・・!


動いてるときはもちろん、夜眠ると呼吸が浅くなるので
息しづらくなって夜中起きてしまうこともしばしば。

朝起きたときにまず深呼吸を何回も何回もしないと
めまいがしそうになるのです・・・!




あと爆笑したりするとそのあとがしんどい!笑




アッハハハハハハハハハハハァハァハァ・・・ゼェゼェゼェ・・・!!!




みたいになる!まじで!


たのむから笑わせないでくれ・・・!ってなる。





随分高いところまで来たんだなぁって実感するのです。







8日目:ロブチェからゴラクシェプ(約5100m) ⇔ エベレストB.C.(5364m)往復


天気快晴、体調良好、景色最高の中を登り、
朝のうちに次の宿に到着。



そしていよいよエベレストベースキャンプに向けて出発です!


エベレストまでの道



標高5000mを越えてから酸素が足りなさ過ぎる!!!!


高度順応ができてなくて、
階段一段一段が、坂道2,3歩がきつすぎる!


一歩一歩が重くて足が動かなくて
本当にしんどかった・・・!





けど




だけど





頑張って頑張って

夢が叶った瞬間!







EBCの景色




EBC到着!!!




本当に本当に嬉しかった!





ゆうちゃん、EBC来たよーーー!!

EBC




感無量!




幸せ!!















ところでところで





栗城史多さんって知ってますか?



エベレストを単独無酸素で登頂を目指してる若者がいるんです。

私はその人のファンなんだけど、

私たちがEBCに行ったときに、
ちょうどエベレストアタックをしていたんですね。

本人はアタック中でいなかったけど、
EBCでサポートしてる栗城隊にお会いました。




栗城隊
興奮して中の人に声かけちゃいました。



その人を応援する人たちのメッセージで埋まっている日の丸。

栗城応援日の丸



わたしたちもその場で書き込んじゃいました☆


メッセージ












幸せいっぱいで宿に戻った夜、
満天の星空が見えた。

標高5000mから見る星は
天の川含めて数え切れないほどの数の星が見えるだけじゃなく

手を伸ばせば届きそうなほど
近くにあるように感じた。

上にも横にも星があった。


凍えそうに寒かったけど
寒さを一瞬忘れるくらい
夢中で星を追っていた。








9日目:カラパタール(約5500m)
    ゴラクシェプからソマレ(約4040m)


どうせここまで来たんだから、
山ひとつ登頂しちゃえということで、
カラパタールという山に登った。


人生で登った山で一番高い山ということになるね!




カラパタール


カラパタール登頂
山頂にて









カラパタールに行く途中で見えたエベレスト



真ん中がエベレスト
真ん中の山がエベレスト(8848m)です










カラパタールを早朝に登って、
この日から帰路につきます。

ひたすらひたすら下って下って6時間。






10日目:ソマレからナムチェバザール

登ってきた道をひたすらひたすら・・・
この日も6時間下って下って。





11日目:ナムチェからルクラ

一気に10時間下って
足ガタガタ!!

でも無事下山しました。














夢のようなヒマラヤトレッキングは大成功です☆



4人写真
4人パーティ写真








おつかれさまでした!!!!!!!!!






りえ


pray for Japan

東北大震災復興にむけて
エベレストからも応援の声です。


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エベレストベースキャンプまでのトレッキング

山好きみんなの憧れ、ヒマラヤ。
そして世界最高峰、エベレスト。


それはもうどんなに楽しみにしていたか・・・!!


ずっとずっと前からどきどきわくわくしてて
歩いてるときもわくわくきらきらしてて
下りたあともどきどきほこほこしてた。







なんだか夢みたいな時間だったね






と二人で口を揃えて言ってた。










そんな12日間に渡るエベレスト街道トレッキングの記録。














1日目:カトマンズからルクラ(約2800m)まで小型飛行機で移動
    ルクラからパクディン(約2500m)


ルクラまでの飛行機というのがこれ

小型飛行機

飛行機内
飛行機内


乗客と乗務員合わせて16、17人しか乗れない小型飛行機。









そして







世界一墜落の多い飛行機







として名高いのである・・・!





山々の間をぬって低空飛行するそれは
山の変わりやすい天候と風向きに左右されやすいのでしょう。

天気が悪いと一週間は飛べない日が続くこともあるそう。


私たちが出発する日も天気は曇りで
少し天気が回復するのを待って2時間ほど遅れての出発となった。






それでも






めっちゃこわかった!!!






終始どきどきが止まらなかった。




飛行中にガクンと急降下したときは







わぁぁぁお父さんお母さんごめんなさい・・・・・・!!!







て本気で思った。





とりあえず無事に到着したけど、






うちらが乗った2日後のカトマンズ行きの飛行機が墜落して
乗客乗務員全員が死亡した、らしい・・・・・





正直ゾッとしたよね。


いやぁ無事で何よりだよほんと。







ルクラで朝食をとりいよいよトレッキング開始!

ルクラの街並み
ルクラの街並み

出発写真withギャンさんとティカラン
ガイドのギャンさん(左)とポーター(荷物持ち)のティカラン(右)







・・・と思いきや、



倉田が急に体調を悪くする。




前日食べたものがあたったのだろうか、激しい嘔吐と下痢のようだ。
ひどくつらそう・・・。



なんとか歩けるようになったところでゆっくりゆっくり歩き始める。






ガイドのギャンさんがビスターリビスターリ!(ネパール語でゆっくりという意)

と声をかけてくれる。







マニ石の横を過ぎる
マニ教典が書かれた石。
この石の左側を通らなければいけない。


生活としての道
荷物を運ぶ人や学校に行く学生の姿も
トレッキングルートである前に、村に住む人々の生活の道でもあるのだ。





時間をかけてゆっくりゆっくり進んで、
目的地パクディンについた。

初日だし、倉田の体調がものすごく心配だった。








2日目:パクディンからナムチェバザール(約3400m)


倉田の体調がだいぶ良くなったようなので予定通りすすめそうだ。
安心安心☆


ゆうちゃんを背に
ゆうちゃんを背に




天気も良くて青空がキレイで山もよく見えた。
高い渓谷に囲まれた道を川沿いに歩く。

渓谷沿いの道

家と畑
時々家と畑がある。村と村の間を歩いてる感じだ。





急登続きで、高低差でいうと900mくらい登り、ナムチェバザール到着。

ナムチェバザール
このエベレスト街道で最も大きな村。
山用品店やお土産店がたくさん立ち並んでいるのだ。



この辺りの民族シェルパ族

シェルパ親子
気が良くて快く写真に写ってくれました。








3日目:高所順応のためナムチェバザール停滞


高山病予防のため、酸素の薄い高所に体を慣らす高所順応が必要になってくる。

ということで一日だらだらしたり散歩したり買い物したりした。







ところで、5500mくらい行くと大半の人が高山病にかかり
頭痛や吐き気に苦しむと思いますが、

幸い重度の高山病にならず無事元気にトレッキングをこなせたのは
この薬のおかげなのです。


ダイアモックス
高山病予防薬ダイアモックス
効果抜群。この薬は神です。



ただ、副作用で手足、顔にしびれを感じます。

けっこうハンパないしびれで、
痛くはないけど、もう顔面麻痺みたくなって気持ち悪いのなんの。







4日目:ナムチェからタンボチェ(3800mくらい)

この日は朝からひどい雨。
一日中降りしきる雨の中、雨具を着て傘をさしての登山となった。


到着したところはすでに富士山より高いところ。
寒いので山小屋に着くなりストーブにたかり服と体を乾かす。


あ、泊まるところは山小屋、というかロッジやゲストハウスと書いてあるけど
個室があってベッドがあって、基本は寝袋にくるまって寝る。

それでも寒いから水筒にお湯もらって湯たんぽつくって寝たりした。




食事もレストランがあって割りといい食事ができる。

ピザ、オムレツ、カレー、ミネストローネ、シチュー、カルボナーラ、ステーキ、チョコプディングなどなど・・・

山での飯



過酷でひもじい山生活というイメージでは全然なかったのです。









ということで続く!



りえ

おまけ
ルクラにあるスタバのマークはエベレストなのだ。
すてき☆

ルクラのスタバ
12/18/2011    ばっかやろうの夢の話


これは、昨日のりえの日記の続きです。
「rest in peace at the EVEREST」を読まれていない方は、
先にそちらを読んでいただけると幸いです。








りえが、ゆうとの夢の話を私にしてくれた日のことを覚えてる。

多分、ゆうと約束をして、半年くらいたった頃だったんだと思う。




お互いに学校を卒業して、それぞれ別の道が見えてきた頃で、
飲み会に顔を出す頻度は大分減っていたけれど、



それでもやっぱり逍遙の仲間は相変わらず、よく遊んでた。



それは久しぶりのサシ飲みで、
ふたりともすんごい酔っ払ってた。




私は私で、りえにとっておきの相談をして、

りえは、その返事に、
少し照れくさそうに、でも嬉しそうに

とびっきりの夢の話を教えてくれた。


日本酒をガンガン飲みながら、
二人で笑い合って、お互いの道を応援し合った。








仕事が二年目に入ってすぐ、

あいつが帰ってこない、っていう連絡が入った。


仲間はみんな集まった。こんな悲しいこと、今までになかったから、どうすればいいかわからなかった。
りえがゆうと仲がいいことはみんな知っていたから、
みんな、抱き合って泣いた。
私はりえとの約束のことを思った。

りえは一度だけ、うちに遊びに来た。
うちのソファーの上で泣いてるりえに、なんにも言葉をかけられなかったのをすごく覚えてる。

それから、ゆうの実家にお邪魔したり、
富士山に登ったり、時間をかけて、それぞれが、心の整理をしていた。






だけど







りえは




それからもずーっと、
毎日
泣いてた。

会社のトイレでも泣いたって、言っていた。





私や仲間の前で泣いたのなんてそのうちのほんの少しで、



多分、
私や仲間が少しずつ、ゆうのいない生活に慣れ始めたときもずっと










りえだけは
ひとりで











私はそのことをずいぶん後になって聞いたと思う。
きっと、その時に聞いていたとしても、何も出来なかっただろうな、とも。



ともかくそんなことがあって、
私はゆうに、りえを泣かせやがってちくしょうとも、それくらいゆうはりえに必要とされてたんだな、すごいな、とも、思っていた。



その私の人生まで、ゆうに変えられちゃうとは、思いもよらなかった。







しばらくして、私はりえにヒッチハイクの旅に誘われた。
その旅は、それこそ
人生を変えちゃうくらいに、
最高に楽しくて、
私は夢中になった。

それは、ゆうがりえを夢中にさせた旅の追体験のようでもあったと思う。
それはもう、いやがおうもなく旅への愛がむくむく育っちゃって、
自分でも止められなかった。

その旅が最高に楽しかったのは、やっぱり、
りえとゆうとの旅が原点にあったんだと思う。



その気持ちがあったから、
私はどうも、
ゆうに語りかけられてる気がしてならなかった。


「ほら、旅楽しいだろ?」って。
「りえを頼んだぞ」って。


悩み過ぎのせいか、(笑)
夜中にゆうの歌声が聞こえた気がして、飛び起きた夜さえあった。




りえは、「ひとりでも旅をする」
っていつも言っていた。

りえの真っ直ぐさを知っていたから、
私が誘わなかったらきっとそうしてただろうな、とも思ってた。


自分の仕事も好きだったから、もう迷いに迷ったけれど、
「行くか行かないか」
っていう選択肢が生まれてしまったら、
もう「行く」しかなかった。

だってほんとに楽しかったんだ。

やろう、と思うならなんだってやれる、って気がついてしまったんだ。

やりたい、って思ったときにやらないと、時間は待ってくれないってことも。







あの時、お互いに応援し合った道は、

いつの間にかおんなじ道につながってた。


多分、旅が終わったら、また少しずつ道は変わっていくんだろうけれど、

今、同じ道を歩いてくれる親友がいることは、最高に幸せなことだ。


この道は、
間違いなく、ゆうが分けてくれた道だ。
ゆうが置いてった道を、二人なりに、地図を見ながら。






ねえ、ゆう

りえは
ほんとに毎日泣いてたんだよ。

毎日ちゃんと会社に行って、仕事して、
家に帰って
部屋でひとりで大泣きして
次の日の朝、また会社に行って。
そんな毎日って、想像できる?

おまえ、ほんとにばっかやろうだよ。



だけど、
だけど、

今は、結構、笑ってるよ。


「ゆうちゃん」をザックに入れて、エベレストまで行ったんだよ。



今、くらりえがハッピーなのはゆうのおかげだよ。
ありがとう。






くらたともこ

12/17/2011    rest in peace at the EVEREST

私はエベレストのベースキャンプ(EBC)に行くことが夢だった。





エベレストの山頂まで行く力量はないけど
EBCまではトレッキングで行けると聞いて
この世界旅のうちに行くことにした。





私がこの夢を持った理由は





ある親友との約束を果たそうと
自分の中で決めたからだった。













これから書くことは少しシリアスで重たい話かもしれませんが、

私がEBCに行った最大の目的と
大好きな親友のことを皆に知ってもらいたいので

今回ブログ上に載せることにします。















親友ゆうちゃん(仮名)は大学時代からの付き合いで
ソウルメイトと言ってもいいくらい
私には特別な存在だった。



私よりもずっとずっと山が大好きで
雪山もロッククライミングもどんなハードな登山も
いつもいつも楽しんでいて
いつもいつもイキイキしてた。






ゆうちゃんの夢はエベレストに登頂すること。



それも、きっと単独で。



海外の山は一度も行ったことはないけれど

ヒマラヤに、エベレストに、
強い強い憧れをもっていた。







彼は自分の夢を


バカで、無謀で、幼稚で、
でも絶対ゆずれない大事な大事な夢だ



って言ってた。












大学を卒業して働き始めて一年たった頃、

「お願いがあるんだけどさ」と改まって言われた。



「俺マジでエベレスト登りたいんだけど、
もしそのときになったら
りえオブザーバーやってくんない?」

私『オブザーバーってなに??』

「んーと、EBCで無線使ったりして、アタックのサポートをすること」

『へー、そんなの私にできるかな?』

「こんなムチャなこと本気で頼めんの
りえしかいねぇよ」




『・・・よしわかった、引き受ける!

その代わり、私の夢も叶えるの手伝ってくれない?



日本を無期限で旅したいんだ。
また二人で旅したい!!』










卒業間近に2人でした
真冬のヒッチハイク日本半縦断の旅。


これが私の人生を変える旅になった。


たった一週間だったけど、
その旅があまりにも楽しすぎて、
私の中で夢がふくらんだ。

もっともっと長く、できれば期限なんか決めないで旅したい。

お金ためていつか仕事辞めて、
またゆうちゃんと旅したい。もっと大冒険したい。


一人で、ではなく

他の誰かと、ではなく


ゆうちゃんと旅したいと。










ゆうちゃんとはよく一緒に山に行ったり旅をしたり遊んだり
究極にくだらないことで笑いあったり
子供みたいにはしゃいだりして
本当に一緒にいて楽しかった。



なんだろう、一緒にいると何でもできる気がしてきて、
ポジティブな気分になって
こわいものなんて何にもないって思えて
パワーをもらえる気がした。



だから彼と一緒に旅したい、と


それが夢になってた。








お互いの夢を叶える手伝いをする、という約束をした


特別な仲だと思ってたんだ。

























だけど




























お互いの夢が叶うことはなくなった。



























エベレストの夢への第一歩として、
彼はアラスカ最高峰の山、マッキンリー(6194m)に行くことが決まった。





初海外の山でどんなに嬉しかったことだろう。
私もすごく嬉しかった。










彼はその訓練として
一人で冬の富士山に登りに行くようになった。









一に無事に帰る
二に死ぬほど楽しむ
三に目標を達成する










それをモットーにしていた彼だったけど










昔からムチャばっかりしてた。

























ある日も一人富士山に行ったまま




















帰宅予定の日を過ぎても帰ってこなかった。


















そのままゆうちゃんは






















一番目のモットーを守りきることができなかった。























夢の約束をして一年後のことだった。



















































頭が真っ白になり
息ができなくなるくらい
泣いた。









赤ちゃんのように大声で
毎日毎日毎日
泣いた。










仲間とも、くらたとも
抱き合って泣いた。










悲しくて悲しくて
苦しくて苦しくて
どうしようもなくつらかった。










人生でこれ以上につらいことが他にあるんだろうかと思うくらいつらかった。
























あいつが一人いなくなっても世の中は何も変わらないかもしれない。
だけどあいつが一人いなくなることで私の人生が大きく変わってしまった。


























命の尊さとか
夢の大切さとか





言葉ではいくらでもわかってるつもりでいたけど









いざ目の前に突きつけられたら

















頭が変になりそうだった。
















































そんな抑うつ状態の私に救いの手をくれたのは













今のソウルメイト、くらただ。




















彼女もまた私の人生を大きく変えた。







また私に新たな夢をくれた。






















この夢を大事にしなくちゃいけない。























一年後がどうなってるかなんてわからないんだから・・・


































私は今夢を叶えてる真っ最中だ。
















だから






ゆうちゃんの夢も私が代わりに叶えよう
と思って。







エベレストの山頂までは無理だけど


ヒマラヤを


エベレストを


見せてあげようと思って。
















EBCでオブザーバーすることが約束だったから


そこまでは行こうと思って。


























ゆうちゃんの遺志を背負って
エベレストに。













形見を背負って
世界中に。























ほんの気休めかもしれないけど

























少しは役に立てたかな?



















少しは夢を叶えさせてあげられたかな?













































そんなことを考えながら
エベレストを眺めていた。





エベレストとゆうちゃん






りえ
12/12/2011    ポカラとスノウリ
たった2日間しかいなかったけど、

時間があったらもっともーっとずっといたかった





それくらい





よい!!!





ポカラ、最高にいいところだと思う。






サランコットという展望台に行き
ヒマラヤアンナプルナ連峰からあがる朝日を見る。

サランコット展望台より


サランコットの朝日
右側に見えるとがった山がマチャプチュレ 6993m(魚のしっぽという意味)
左側に見える連峰がアンナプルナ 8091m
この写真にはないけどこれより左側にマナスル 8163m が見えます。




山の名前なんか連ねても分からないって??






いやここは山大好きっことしては語らせて頂きたい!!





憧れのヒマラヤ8000m峰の山々が間近で見られるんだもの
興奮せずにはいられないわ!(どーん)






とにかく





とにかく




美しかった





ため息が出るほどに。















ポカラの市街もとっても雰囲気がいい。


レイクサイドにあるカフェで
眼前に広がる湖を眺めながら
美味しいご飯を食べてお茶を飲んでのんびり本を読む。

レイクサイドのカフェ

読書






あぁなんて幸せな時間だったのでしょう。




時間の流れがゆったりまったり・・・











湖沿いをてくてく歩いている

竹で作ったブランコではしゃぐ子供たちの姿。

ブランコ



わ~楽しそう~と思ってみていたら


あなたたちも乗っていいわよ


と言われたので






子供以上にはしゃいでしまった!!







その場にいた子供と仲良くなり

写真とりあいっこして戯れたり

写真で戯れ


僕の家にきなよと、
ほったて小屋みたいなおうちに招待されたり。

ほったて小屋

お母さん
優しそうなお母さんがお酒とおつまみを出してくれました。




ほろ酔いの帰り道




あぁなんていい街なんだろう




とほんわか幸せ気分になるのでした。












もう少しいたかったけど
ポカラから次の国インドに渡るため
国境の街スノウリに立ち寄る。







そこで声をかけてきた
サイクルリクシャの兄ちゃん。



安い宿に連れてってあげるからとなんだか親身。



うさんくさいなぁ
チップはやらんよ?



と思いつつついて行くと

まぁわりといい宿に連れてってくれた。







次の日もわざわざ宿の前まで迎えにきて

お昼にイミグレーションまで連れていく、と。





それまで彼の友達がやってる飯屋に連れてかれたと思いきや

ビールおごってくれたり

彼の姉妹のおうちにお邪魔して親しげに遊んじゃったりなんかして

クリシュナ家族







あ、なんだふつーにイイ奴だった!









日本人女性が好きで日本人と結婚したいという彼。












案の定









しっかり求婚されたけど












なんでやねん!







とつっこんで流しておきました。


りえ

私の顔はネパーリーに見えるらしく
「ネパーリー、ネパーリー」と呼ばれ続けていました。
「何?!」と日本語で返していたら今度は
「ナニー、ナニー」と呼ばれ続けるのでした。。。


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